企業経営の根幹業務である「与信管理」がアカデミックの世界でほとんど相手にされていない理由、
つまり主要大学の講義に採用されていない理由は、
経済学の裏付け(基礎づけ)が全くなされていないからである。
同じく企業経営に関するテーマである「経営戦略論」が主要大学の大学・大学院でメジャー講義として
採用されているのは、経済学による理論的な基礎づけがあり、経済学の文脈で議論が展開されているからである。
実務の世界では経済学的な思考がなくても、それで業務は回る。
現実の与信管理業務において、それが大学の講義科目として採用されるかどうかは、どうでもいい話かもしれない。
自社なりのやり方を模索して確立しているのであり、そのやり方で日々、一生懸命仕事をすればよいのである。
従って、ここではアカデミックの世界で認められることの是非を論じるのではなく、
なぜ与信管理がアカデミックの世界で相手にされていないのかの背景をお話するだけである。
●「主流経済学」
経済学といっても色々あるが、ここでいう経済学とは「主流経済学」、
つまり「ミクロ経済学的な基礎を持った思考」を指すことにしたい。
ミクロ経済学は、周知のとおり経済主体(人や企業)の「合理的な意思決定」をベースにした思考体系である。
近時は行動経済学からの(人々は合理的ではないという)批判もあり人気は下火と聞く。
書店を回っても、ミクロ経済学の新刊は少ないように思える。
ただし、経済学のプロの世界では、いまだにミクロ経済学をベースとした議論展開ができないとお話しにならない
(批判するとしても)。
ちなみに私が学部時代に過ごした大学(当時:90年代後半)では、東京のはずれにあったからかもしれないが、
「非主流」の経済学が盛んであった。
いわゆる「ポスト・ケインズ派」の経済学者(先生)が在籍しており、
彼らは、ミクロ経済学的な基礎というよりは、「歴史」や「制度」を重視する立場で経済論を展開していた。
ただ、当時において、経済学の世界でプロとして飯を食べていくには、
「ポスト・ケインズ派」のような非主流の経済学では就職先に困るという説も流布しており、
エコノミストを目指す者の大半は、
ミクロ経済学的な基礎付けがされたマクロ経済学(ニュー・ケインジアン)を自分で勉強していた。
しかし、社会人となり、与信の世界で仕事するようになって、
むしろ、非主流の「ポスト・ケインズ派」の概念の方が大いに役に立っているということは付言しておく。
リーマンショック後の経済動乱を論じる際のキーワードとして頻出している「ミンスキー・モーメント」は、
ポスト・ケインズ派のハイマン・ミンスキーの金融不安定仮説である。
詐欺の「ポンジ・スキーム」もミンスキーの用語である。
このように与信や信用調査の世界では、非主流派の経済学が役に立つのである。
(関連コラム▶【与信管理の経済用語】「ポンジ」と「金融不安定性定理」)
しかしながら、アカデミックの世界で認められるためには、
主要大学や主要研究機関のエコノミストに浸透している「主流経済学」に即した
話し方ができないと相手にされない。
彼らは大学院時代に嫌というほどミクロ経済学の数学的訓練を受けているはずであり、
基本思考が同じレベル感にないと(同じ苦労を共にした)プロとして同列に扱ってもらえない(と思う)。
近時は経営学や政治学の分野でもミクロ経済学による基礎づけが進んでいるようであり、
アカデミックの世界で社会科学と認められるためには経済学による理論づけは必須なのだ。
●経済学思考が欠如した与信管理フレームワーク
話が大分それてしまった。与信管理に話をもどそう。
とある事業会社で、以下のような与信管理のフレームワークを採用しているとする。
なお、このフレームについての実務的な観点での是非は、私は何も言わない。
現実の運用は色々な兼ね合いがあって決まるものだから一概に良いも悪いも言うことはできない。
ただし、以下のようなフレームワークでは、アカデミックの世界では通用しない。
「学問的には駄目な与信管理」の一例としてご紹介しよう。
■某企業の与信限度枠決定のフレームワーク(経済学的思考が欠如)
①与信販売先を財務内容等に基づいて「格付」する。
②「格付」ごとに与信可能額をあらかじめ規定しておく。
たとえば、優良先(ランクS)なら1億円まで与信枠設定を承認、
財務不芳先(ランクD)なら500万円まで等。
③日々の与信限度の申請に対して、格付ランクごとの上限与信枠内の取引ならば、
ほとんど自動的に承認する(効率化)。
④これらのルールを「与信管理規程」に明記する。
一見、このようなフレームワークは簡便かつ効率的であるが、
経済学の観点では、メチャクチャなフレームワークであり、
アカデミックの世界では相手にされないシロモノである。
(繰り返しになるが、アカデミックに認められることが良いかどうかの是非はいっていない。
実務でやりやすいなら、このような枠組みでよいと思う。決まりはないのだからOK)
●与信管理における経済学の基本思考
ミクロ経済学では、経済的な意思決定は、すべて「限界(marginal)」の観点で行われる。
限界とは、追加的にあることを行うことによって発生する、追加的な利益や費用のことをいう。
与信管理に即していえば、例えば、ある与信先に対する与信限度の「新規付与」によって生ずる利益と費用が、
限界利益と限界費用である。
限界利益とは、新たな与信取引によって得られる利益である。
限界費用には、新たな与信を張るために必要となる資金コストも含まれる。
そして、与信取引の意思決定は、限界利益と限界費用を比べて利益が勝っているならば、
当該与信取引を承認し、そうでなければ却下することでなされる。
このようにミクロ経済学(主流経済学)の意思決定は、すべて限界概念で行われる。
ある与信販売を追加的に行うことによって発生する限界利益と限界費用は、その局面・局面で異なる。
同じ販売先(又は格付が同じ先)であっても、
すでに大口の与信販売を行っている先に対してさらに与信限度枠を増枠する取引と、
小口取引しか行っていない場合の増枠申請では、追加設定による限界利益や限界費用は異なる。
また、自社の財務体力・資金繰り・資金調達に余力がある局面での限界費用(限界資金コスト)と、
自社の財務や資金繰りが厳しい局面での限界費用(限界資金コスト)は、当然異なる。
このように局面・局面で追加的な利益・費用(限界利益・限界費用)が変動していくことを、
「限界利益(限界費用)の逓減(ていげん)」又は「限界利益(限界費用)の逓増(ていぞう)」と呼ぶ。
したがって、取引の判断では、まず、どの局面に立っているのかを把握する必要がある。
それによって、「限界」が変わってくるからである。
都度都度、取引内容(相手の信用度や取引条件)や自社の資金繰りの状況を見ながら、
局面によって異なりうる限界利益と限界費用を勘案して取引判断を行うのである。
経済学に即した与信管理であるためにはこのようなフレームワークでなければならない。
(経済学に即したフレームワークと整合的な与信管理を行っている会社もある)
上の「某企業」のフレームワークの(経済学的視点での)問題点は、
経済学の基本思考である「限界概念」が欠如していることである。
格付S=●円、格付A=●円・・・などと、
「あらかじめ与信枠を決めておいて」しかもそれを「与信規程」に盛り込む(=縛りをかける)というのは、
このような限界概念での意思決定を放棄することを意味する。
このようなやり方は実務上簡便で効率的あり、
いくつかの条件をクリアできるならば理論的にも一定の合理性はある。
しかし、このようなフレームワークを引っさげては、アカデミックの土俵に上がることはできず、
大学の講義では論じることのできない「非学問的」なものである。
上記フレームワークはあくまで一例だが、似たような考え方(やり方)をよく見聞きする。
また、既存の与信管理に関する書籍等は存在するが、
経済学の基本的な思考に基づいた体系的な説明は見受けられない。
「実務の専門家」による経験値に基づく「ノウハウ本」が主であり、
アカデミックに認められる社会科学とは別世界のモノとなっているように思える。
●金融緩和が与信マインドを低下させている?
限界概念の欠落は、追加資金コストをほぼ意識しなくてよいほど金融緩和が長期に行われているからではないか?
安定経営の大企業では、資金調達コストが安く、個々の与信取引において限界費用(限界資本コスト)をほぼ無視できる。
だから、限界概念を意識しなくても済んでおり(=与信マインドの低下)、上記のようなフレームワークで実務上問題は生じないのかもしれない。
しかし、経済金融情勢が変わり、資金コストを意識した与信判断が求められる状況になった時、
経済学的思考が欠如したフレームワークに慣れ親しんだ審査パーソンは、どう対応するのだろうか?
対応策は簡単である。
日々の業務で自社はどの局面にあるのかを常に意識し、
そのうえで、その取引を行うことによって、何が得られ、何を失うのかを考え判断する。
これが経済学的な基礎を持った与信管理であり、そういった経験値を実務家の方々が集積するとともに、
エコノミストやコンサルタントが経済学の理論を融合させていけば、
アカデミックの世界で社会科学として認められる余地が生まれてくると思う。
参考コラム:与信管理と債権管理の違い ~学問化されない理由②~
関連コラム:【与信管理の経済用語】「ポンジ」と「金融不安定性定理」
H.Izumi