与信リスクは客観化できない

~与信はアニマル・スピリッツ~

相変わらず与信管理の世界で「俗説」がまかり通っている。

 

企業を何らかのロジックに基づいて「客観的」に評価し、与信リスクを示す「客観的な指標」を算出して、それによって与信管理を行うのが合理的であり、効果的であるという説。

 

噴飯の俗説だ。こうした主張は、貸倒引当金の算出と与信管理を混同してしまっているか、そもそもリアルビジネス(商社や事業会社)のガチな与信管理をやったことがないのにドヤ顔で天下ってくる金融出身者が言いそうな戯言に聞こえる。

 

はっきり言おう。与信の世界に「客観」などありえない。与信のリスク指標として誰もが共通に使える1本の客観的な数値は存在しない。

 

ある企業への与信リスクは置かれている立場によって異なるからだ。

 

例を示そう。 

 

企業Xの借入先である銀行A、主力仕入先である商社Bを考える。

 

今、商社Bは、Xとの取引の将来性を見込んで業界慣行以上の長期与信を供与(長い期間の回収サイトを設定)してあげて、Xの資金繰りを助けているとする。そのおかげでXは銀行借り入れに頼ることなく資金を繰り回すことができている。すなわち有利子負債と金利負担はゼロである。

 

こうした状況は、商社Bの取引スタンス(意気込み)という極めて「主観」的な要素が、Xのバランスシート(決算)を左右していることを示している。

 

Xのバランスシート(決算)を作っているのは、主力仕入先である商社Bの取引スタンス(意気込み)という「主観」、すなわち「アニマル・スピリッツ(商売人としての動物的な感性)」であり、Bのスタンス次第で、Xの有利子負債の金額が変わってくる。もしBが与信を絞れば、対応する所要運転資金の増加分は銀行借り入れに頼らざるを得ないからである。

 

Bの主観、すなわちアニマル・スピリッツとは何か。究極的に言えば商売を担当する、すなわち与信稟議書を起案する営業担当者のビジネス的な嗅覚・熱意・能力(社内を説得する力を含む)である。

 

営業担当者が「どうしてもXとの商売を伸ばしたい」という熱い想いを稟議書に書き、稟議を通すことができるか。このとき頼ることができる客観指標なるものは存在しない。なぜなら自社(B社)が主力仕入先としてXの財務状況を左右する立場にある、すなわち、今まさに書こうとしている与信稟議書の内容次第で与信先Xの将来のバランスシートが変わってくるからだ。

 

自社のアクションが相手の状況を左右し、それが自社のリスクや行動に跳ね返ってくる。それが反復して継続する。こうしたダイナミックな与信の世界で、自社とは独立した客観なリスク指標など存在するはずもないし、存在すると期待することもナンセンスだし、あったとしても使えない。

 

では、ビジネスの世界で流布している大手信用調査会社の「評点」は何なのか。

 

評点とは「その」調査会社としての「意見」だ。「その」調査会社の長年の歴史の中で、調査員たちが汗と涙を流し、靴底をすり減らしながら企業経営者に時に罵倒されながらも、信頼を得て収集した膨大な情報の蓄積や分析に基づく彼らなりの各企業の「格」に対する「意見」なのだ。ネットで落ちている情報を収集して作出した「指標」とはわけが違う。

 

だからこそ、与信の世界では「評点」が重きをなしている。

 

だが、それは「自社」が抱える特定の相手との与信リスクを客観的に示すものではない。なぜなら先の例でいえば、商社B(自社)の与信先である企業Xの財務内容は商社B(自社)自身の取引スタンスで左右できるから、調査会社の評点もその影響を受ける。従って商社Bにとって調査会社の付す評点は客観・独立な指標とはいえない。

 

評点はあくまで「その調査会社として意見」であり、参考意見として耳を傾けることはできても、それをそのまま自社の置かれている状況に組み込むことはできない。

 

与信管理に力を入れている一流の会社は、たいてい各取引先に対し「自社の格付(社内格付)」を設定している。これは自社のビジネス特性や自社の被った貸倒の履歴などの経験値に基づくオリジナルな指標であり、その会社(グループ内)だけで通用する「主観」的なものである。

 

現実として反社排除やコンプライアンスは大前提だが、外部の調査会社の評点(意見)や社内格付が高かろうが低かろうが、ここぞと思う商売に突っ込んでいくのが資本主義の世界の商売人である。そういった場合は評点に関わりなく「重要管理先」として区分設定し、営業や審査部門がタイアップして、時に相手の社長に一緒に会いに行くなど、きめ細かくフォローしていく。これが与信管理というものだ。

 

話を設例に戻そう。Xの主力仕入先である商社Bの取引スタンス(主観)が、Xのバランスシート、および他の与信供与者である銀行Aの与信リスクに大いに影響する。もしBが与信を絞るならば、対応する所要運転資金の増加分は銀行借り入れに頼らざるを得ない。Xが銀行Aへ融資を申し込む理由が、こうしたBの与信の絞り込みであるならば、Bの過去の決算に基づく財務分析やリスク指標など何の役にも立たない(むしろ有害)。

 

決算書を分析すれば与信リスクを客観的に示す指標が出来上がるというのは錯覚である。そもそも決算書の数字自体が関係するステークホルダーの主観に基づく行動の結果であるし、決算作成の段階で恣意性が混入するのが現代の会計だ。だから決算書それ自体が客観的ではない。

 

優秀な与信管理パーソンになろうと思うのなら、自社のあるべき姿(=主観)を描き、視野を広げ、動態的に物事をとらえることが必要だ。自分の行動、自社の行動が、相手にどう影響し、それが自分や自社にどう跳ね返るのか。その無限ループこそ現実の与信の世界であり、静態的な「客観」が成立するほど単純ではない。極めて難しく、チャレンジングな仕事である。

 

貸倒引当金の算出という数字遊びの空想世界ならともかく、リアルな与信の世界で「客観指標」の存在を信じるのは禁物である。

 

もし与信界隈で「客観」云々を喧伝する者を見かけたら、是非、経済学者ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を勧めて諫めてみてはどうか。難解な古典だが、統計的(客観的)な答えのない不確実性下での意思決定(アニマル・スピリッツ)というものを再考するのに良書であり、与信管理担当者としての理論武装にも役に立つと思われる。

 

泉博伸