今回取り上げる与信管理の俗説は、「与信限度額=相手の買掛債務残高×●%」という極めて創作的な与信限度額の設定方法だ。
この式の意味が分からない。
相手への売り込みリスク、すなわち主要サプライヤーになると抜き差しならない関係になるリスクを意識した与信限度設定のつもりだろうが、全く、そうなっていない。
加えて「与信」の根本からズレている。
このような創作式で与信限度管理を行ったら架空取引など不正が横行するだろう。与信限度は不正取引を感知するセンサー機能を担うはずであるが、これではその機能を全く発揮できない。
なぜダメか。まず、屁理屈から言おう。
相手が納品と同時に支払う(=キャッシュ・オン・デリバリー)ような金払いの良い会社であれば、相手のB/S上の買掛債務の残はゼロであり、創作式では与信限度額が計算できなくなる。
ところで、相手が即金で払ってくれるからといって、その相手への与信額がゼロかというと、そうではない。
なぜなら、商社やメーカーは納品までの「リードタイム」が発生し、その間にも与信ポジションを抱えるからだ。すなわち「受注残」やファームオーダー(正式注文)が無い状況の中での「見越残」のことだ。
相手からの発注(発注見込)を受け、自社が原料を仕入れ、製造している間に相手が倒産したらどうなるか?
この与信ポジションの考え方は、どんなビジネスをするにも非常に重要となる。納品検収前(債権化前)に、どれだけの時間と労力を投下しなければならないのか?その間に相手が倒産したり、逃げたり、話を反故にしたらどうなるのか?
リードタイム中に投入する経営資源は、他に向けられない。つまり「機会費用」が発生しており、それを認識するのが「与信ポジション」の考え方だ。
これは、ビジネスをするうえで極めて重要な思考だ。会社を経営すれば尚更よくわかる。ポジション思考のない経営は破綻に至るだろう。
■正しい与信限度額設定の基本思考
この与信ポジションの概念を踏まえたうえで、正しい与信限度額の設定方法を示しておこう。
まず、その取引先への想定の与信額を計算する。
それは、
「想定月商」×「想定リードタイム(ヶ月)+債権回収サイト(ヶ月)」
と計算される。
そして、与信限度額の申請およびその承認審査においてはこの「想定月商」「想定リードタイム」の根拠を営業と審査部門で、きちんと詰める。
これが与信管理の肝であり、この詰めこそ与信限度の「管理」そのものだ。
取引の実態、前年実績、市況、今後の見通し、市場環境や営業方針等を踏まえて「想定月商」を詰める。ビジネスのプロセス、商流・物流等を踏まえて「想定リードタイム」を詰める。
この際、おかしな取引であれば想定月商や想定のリードタイムもおかしなものとなるから、ここで不正に気付くこともできる。
そして、
「想定月商」「想定リードタイム+回収サイト」が妥当と判断されたとき、
「想定月商」×「想定リードタイム+回収サイト」
=「与信限度額」として設定するのだ。
そして、信用リスクと与信限度額の多寡に応じて決裁レベルやモニタリングの頻度や濃淡を調整する。
これが正しい与信管理だ。
ちなみに、ここで留意したいのは信用リスクが関係するのはあくまで「決裁レベル」と「モニタリングの濃淡」だ。
中には信用リスクに応じて「与信限度額」の「多寡」を決める考え方が散見されるが、それは邪道である。何故かはここまでお読み頂いていればお分かりであろう。
そのような与信限度額では取引額の急増減や不正のセンサー機能が果たせないからだ。私が企業の監査役ならそのような邪道な与信管理が行われていれば厳しく改善を促すだろう。
きちんと詰めた与信限度額は、実体のない架空取引のセンサーとなり、抑止になる。
なお「想定月商」について理論的には納品前の仕掛段階の価値は原価ベースで算定する等々の議論があるが、実務上はそこまでは難しいので「月商」で掛け算する。
そして、これもまた実務上の制約からリードタイムを省き「債権の回収サイト」に限定したのが、巷で「与信限度額」として流布している公式だ。
「想定月商」×「債権回収サイト」=「与信限度額」
これは、いわば債権化後の与信リスクだけに限定した次善策であり、本来は、その前の見越や受注段階から与信として認識するべきなのだ。
それが管理上は難しいということで「債権回収サイト」だけにフォーカスしているに過ぎない。(もちろん受注残から管理している会社もある。)
事業を創ったり、起業したいビジネスパーソンは次善策程度のリスク管理をしていてはだめだ。
会社の管理上は債権しか見なくても、自分の頭の中では、いつ・どれだけのリスクが発生するか?を意識する訓練をしておくべきだ。
■創作式の更にダメな点:正しい売り込みリスクの測り方
さて、与信限度額=「相手の買掛債務残×●%」の創作式の更にダメな理由を指摘しよう。
この創作式の「●%」は、いわゆる取引シェアのつもりだろう。相手のB/Sのうち●%までを上限とする。つまり買掛債務ベースでの取引シェアのことを指している。
ただ、取引シェアを買掛債務ベースで考えては駄目だ。支払サイト次第で買掛債務の金額が増減するし、季節変動もあるので正しい姿を表せない。
考慮したいのは取引のボリューム、すなわち「フロー概念」であるから、これを「債務残高」というストックベースで計算しては駄目だ。
正しく測りたいなら、取引相手の当該商品の「年間仕入高」という「フロー概念」をベースに計算すべきだ。これだと支払サイトに左右されないし、季節性もクリアできる。
そして、売り込みリスクの考慮は、与信限度設定における「想定月商」の詰めの際に行う。
想定月商×12=年間取引額(フロー概念)であり、これと相手の「年間仕入高」(フロー概念)と比較するのだ。
この割合が高すぎれば売り込み過ぎということで「想定月商」を減らして与信限度額の申請額を調整する。これが本来のやり方だ。
■手抜きの与信限度設定なら危ないから無い方がいい。
与信限度額の基本原理は極めてシンプルだ。
与信限度額=「想定月商」×「想定リードタイム+債権回収サイト」
この「想定」について、営業と審査でしっかり根拠をつめる。
これが大事であり、難しい点でもある。
時に営業VS審査のバトルとなるかもしれない。
この詰めをいい加減にするから、架空循環取引が横行する。
逆にしっかり詰める作業を行うと不正取引の抑止となる。
意味の分からない創作的な与信限度額の設定では有事の際に説明責任は果たせない。
与信限度額の設定は会社を守る極めて重要なプロセスだ。それを「簡単に」「お手軽に」設定しようとするから、意味の分からない創作式が登場し、本筋からズレた「役に立たない与信管理」に陥ってしまう。
企業存続の根幹業務を手抜きするな! ということだ。
手抜きで設定した与信限度額ならむしろ無いほうが安全だ! ともいえる。
実際に、手抜きで設定した与信限度額が「形骸化」し、潰れた会社もある。
与信限度額の形骸化がなぜ起こるか?それは、テキトーに設定した与信限度額は「どうせテキトーに設定したんでしょ。目安程度だよ」といわれ社員にナメられるからだ。
こうなると誰も与信限度額を守らなくなり、与信マインドが全社的に弛緩し、与信管理は崩壊する。
そういった会社は「危ない会社」として周囲から警戒されるだろう。与信規律とは、与信限度設定をいかに真摯にやるか?ということだ。
与信限度額が「テキトーなもの」とナメられないためには、しっかりとした設定根拠・詰めのプロセスが必要だ。
今一度、自社の与信限度額の設定方法を合理的に説明できるか再考する時期だろう。
安易に「簡略化」「お手軽化」に手を染めて本質を逸脱してはならない。
説得力・納得性のない与信限度額ならない方がいい。これだけ不正取引が横行している以上、改めて与信限度額の重大性と本質の理解が必要だと思う。
H.Izumi